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部派仏教における縁起の解釈
部派仏教の時代になり、部派ごとにそれぞれのアビダルマ(論書)が書かれるようになるに伴い、釈迦が説いたとされる「十二支縁起」に対して、様々な解釈が考えられ、付与されていくようになりました。
それらは概ね、衆生(有情、生物)の「惑縁(煩悩)・業因→苦果」すなわち「惑業苦」(わくごうく)の因果関係と絡めて説かれますので、総じて「業感縁起」(ごうかんえんぎ)と呼ばれるようになりました。
有力部派であった説一切有部においては、「十二支縁起」に対して、『識身足論』で 「同時的な系列」と見なす解釈と共に「時間的継起関係」と見なす解釈も表れ始めました。
『発智論』では十二支を「過去・現在・未来」に分割して割り振ることで輪廻のありようを示そうとするといった解釈も示されるようになるなど、徐々に様々な解釈が醸成されていきました。
そして、『婆沙論』(及び『倶舎論』『順正理論』等)では、
「刹那縁起」(せつなえんぎ)--- 刹那(瞬間)に十二支全てが備わる
「連縛縁起」(れんばくえんぎ)--- 十二支が順に連続して、無媒介に因果を成していく
「分位縁起」(ぶんいえんぎ)--- 五蘊のその時々の位相が十二支として表される
「遠続縁起」(えんばくえんぎ)--- 遠い時間を隔てての因果の成立
といった4種の解釈が示されるようになりました。
しかし、結局3つ目の「分位縁起」(ぶんいえんぎ)が他の解釈を駆逐するに至り、。説一切有部では、この「分位縁起」に立脚しつつ、十二支を「過去・現在・未来」の3つ(正確には、「過去因・現在果・現在因・未来果」の4つ)に割り振って対応させ、
「過去→現在」(過去因→現在果)
と
「現在→未来」(現在因→未来果)
という2つの因果が、「過去・現在・未来」の3世に渡って対応的に2重(両重)になって存在しているとする、輪廻のありようを説く胎生学的な「三世両重(の)因果」が唱えられました。
また、説一切有部では、こうした衆生(有情、生物)のありように限定された「業感縁起」だけではなく、『品類足論』に始まる、「一切有為」(現象(被造物)全般、万物、森羅万象)のありようを表すもの、すなわち「一切有為法」としての縁起の考え方も存在し、一定の力を持っていました。
このように釈迦が説いたとされる「十二支縁起」に対して、様々な解釈がなされるようになりました。
特に時系列を考え、縁起を説明しようとする流れが強くなりました。
仏教に限らず宗教とは、思想だけではなく哲学的かつ論理的に探求される面もあります。
カリスマの言葉を解釈しようとする流れが大きな力を生み出すのです。
仏教における縁起はこれだけでは説明ができませんので少しずつさせていただきます。
私が触れられるのはほんの少しだけですので、興味がある方は釈迦の言葉の意味を自分自身で解釈されるのが良いと思います。
部派仏教の時代になり、部派ごとにそれぞれのアビダルマ(論書)が書かれるようになるに伴い、釈迦が説いたとされる「十二支縁起」に対して、様々な解釈が考えられ、付与されていくようになりました。
それらは概ね、衆生(有情、生物)の「惑縁(煩悩)・業因→苦果」すなわち「惑業苦」(わくごうく)の因果関係と絡めて説かれますので、総じて「業感縁起」(ごうかんえんぎ)と呼ばれるようになりました。
有力部派であった説一切有部においては、「十二支縁起」に対して、『識身足論』で 「同時的な系列」と見なす解釈と共に「時間的継起関係」と見なす解釈も表れ始めました。
『発智論』では十二支を「過去・現在・未来」に分割して割り振ることで輪廻のありようを示そうとするといった解釈も示されるようになるなど、徐々に様々な解釈が醸成されていきました。
そして、『婆沙論』(及び『倶舎論』『順正理論』等)では、
「刹那縁起」(せつなえんぎ)--- 刹那(瞬間)に十二支全てが備わる
「連縛縁起」(れんばくえんぎ)--- 十二支が順に連続して、無媒介に因果を成していく
「分位縁起」(ぶんいえんぎ)--- 五蘊のその時々の位相が十二支として表される
「遠続縁起」(えんばくえんぎ)--- 遠い時間を隔てての因果の成立
といった4種の解釈が示されるようになりました。
しかし、結局3つ目の「分位縁起」(ぶんいえんぎ)が他の解釈を駆逐するに至り、。説一切有部では、この「分位縁起」に立脚しつつ、十二支を「過去・現在・未来」の3つ(正確には、「過去因・現在果・現在因・未来果」の4つ)に割り振って対応させ、
「過去→現在」(過去因→現在果)
と
「現在→未来」(現在因→未来果)
という2つの因果が、「過去・現在・未来」の3世に渡って対応的に2重(両重)になって存在しているとする、輪廻のありようを説く胎生学的な「三世両重(の)因果」が唱えられました。
また、説一切有部では、こうした衆生(有情、生物)のありように限定された「業感縁起」だけではなく、『品類足論』に始まる、「一切有為」(現象(被造物)全般、万物、森羅万象)のありようを表すもの、すなわち「一切有為法」としての縁起の考え方も存在し、一定の力を持っていました。
このように釈迦が説いたとされる「十二支縁起」に対して、様々な解釈がなされるようになりました。
特に時系列を考え、縁起を説明しようとする流れが強くなりました。
仏教に限らず宗教とは、思想だけではなく哲学的かつ論理的に探求される面もあります。
カリスマの言葉を解釈しようとする流れが大きな力を生み出すのです。
仏教における縁起はこれだけでは説明ができませんので少しずつさせていただきます。
私が触れられるのはほんの少しだけですので、興味がある方は釈迦の言葉の意味を自分自身で解釈されるのが良いと思います。
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